基金の活動

平成28年度「作文コンクール」受賞作品が決定|建設産業人材確保・育成推進協議会

 
国土交通大臣賞を受賞した4名。作品は10月7日「優秀施工者国土交通大臣顕彰(建設マスター)式典」(東京都港区メルパルクホール)で朗読された。

 建設産業人材確保・育成推進協議会では、建設業に従事する労働者を対象とした作文コンクール「私たちの主張」と、全国の工業高校の建築学科、土木科等の在校生を対象とした「高校生の作文コンクール」を主催し、優秀作品を表彰している。
 今年度の応募総数は1,742作品。「私たちの主張」は452作品、「高校生の作文コンクール」が1,290作品だった。本ページでは、国土交通大臣賞を受賞した4作品を紹介する。
 また、優秀作品は「建設のしごと」ホームページに掲載されます。



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 父が頭にタオルを巻き、耳に鉛筆を挟んでいる姿を、幼い頃の私はよく真似していた。また、父が仕事をしている隣では、廃材に釘を打ちながら遊んでいた記憶が鮮明に残っている。
 小学校四年生のある日、学校から帰ってきた私は、父の仕事机にある一枚の図面が目に入った。初めは、何が描いてあるかわからず、気に留めていなかった。しかし、図名には「新築工事」と書いてあり、家の図面だということがわかった。家の図面はどうなっているのか気になり改めて見てみると、部屋の位置や大きさなどの構成を漠然と読み取ることができた。そして、この一つの図面を基に、家が出来上がっていくことにとても興味を持った。
 あれから八年。父は変わらず六時半にタオルはちまき姿で仕事場へ行き、六時四十分には仕事場の掃き掃除をしている。そして、八時になると職人さんと朝茶を飲み、たわいない世間話やその日に行う仕事の話をしている。昼食は早めに摂り、十二時半には昼寝をする。しかし、昼寝の時も常に仕事の電話は鳴り止まず、耳に挟んである鉛筆を取り出し、午後の仕事が始まっていく。これが、八年間続いている父のルーティンである。なぜ、この地味で小汚い姿や一連の行動をするのか、父に尋ねても明確な答えは返ってこないだろう。なぜなら、職人の父にとっては、呼吸をするかのように当たり前の動作だからだ。しかし私は、これらの一連の行動が父の職人としてのスイッチをオンにさせているに違いないと思う。これらを行うことで、職人としての技術や技能を存分に発揮することができ、こだわりのある家づくりが、お客様に満足を与え信頼関係を築いているのだと感じた。
 高校三年生のいま、八年間の思いが建設系専門学校へ進学することを決めさせた。この先、一人前の技術者になるためには、内容の濃いものを短時間で習得することも大事なのだが、一見、意味のないような単純で簡単なことを長くながく続けていくことの方が大切だと感じるようになった。
 いつか、父の隣で仕事をしながら、「親父と変わらねーな。」と周囲の職人さんから言われた時が、一人前の技術者として認められたことになるのだと思う。これから先、長年続いた家業を継ぐ跡取り娘として、新しい知識や技術を吸収し、父とともに単純で簡単な繰り返しを確実に長く続けていくことが大切である。それが、一人前の技術者になるための私の覚悟である。

 小学校の登下校で、父が手がけている家を見ることがあり、日々出来上がっていくことにとても感動しました。もし、自分が手がけたらどんな感動があるのだろうかと、建築士を目指して勉強しています。
 作文は得意ではなかったのですが、担任の先生に勧められ、心の中にあった父のことを文章で表現しようと挑戦しました。父には、この式典の朗読で初めて聞いてもらいます。喜んでくれると嬉しいです。

 
 

 私は高校一年生のときに初めて建築コンペに応募しました。このコンペが私の建築に対する考え方を変えるきっかけとなりました。
 中学生の頃に設計の仕事に興味を持ち建築科に入学した私は、自分の力を試してみようとコンペに応募することを決めました。
 初めてのコンペは、自分の頭の中にある考えをどのように表現すればよいのかがわからず、まとまった提案をすることができませんでした。結果は二次審査落選でした。
 落選したときに、専門知識の浅さや自分の考えを伝える技術が十分でないことを痛感しました。これらのことをふまえて、パースの描き方や着彩の仕方、また外観や内観のデザインなど、どうすれば自分の考えをわかりやすく伝えることができるかという点に着目するようにしました。そして誰かに伝えたいときに平面的な考えではイメージがわかず、伝わりにくいことから、立体的な「空間」を考える必要があると気が付きました。
 高校二年生になって人生二度目のコンペに挑戦しました。前回のコンペから学んだ「空間」を考えること、そして伝え方を工夫することを意識して提案しました。結果は高校生の部で優秀賞を受賞することができました。
 初めての受賞に舞い上がり、やり遂げたという達成感でいっぱいでした。しかし、表彰式に出席して衝撃を受けました。表彰式では大学生や専門学校生の方の作品が展示されており、プレゼンテーションも行われました。住宅メーカーの社員の皆さんや、建築家の方を目の前にしてのプレゼンテーションはとても緊張感がありました。審査員の方からの厳しい質問に答えておられる姿を見て、自分だったらスラスラと答える余裕はないだろうと思いました。提案する上で、考えが自分で理解できていることが当たり前とされるのに対し、私は考えが頭の中でうまく整理されておらず、自分の詰めの甘さや未熟さを思い知ることとなりました。
 今までの私は「建築とは人々に場所を提供するもの」だと考えていましたが、コンペを通して「建築とは人と環境、人とモノ、人と人をつなぐ空間を提供するもの」だと考えるようになりました。
 私は今、高校三年生で将来を左右する大切な分岐点に立っています。建築のことをもっとよく学びたいという思いから、進学を考えています。一言で建築といっても様々な分野があり、将来どのような職業に就きたいかはまだ決めかねています。どのような仕事に就くとしても、建築は空間をつくりだすものであるという考えを持ち続けたいと思います。
 コンペを通して私は、空間をつくり出すということは創造力だけではなくイメージする想像力も必要であると考えました。技術のみならず感性を磨き、将来の仕事につなげていきたいと思います。

 デザインに興味があって、1年生のときから建築コンペに応募を続けています。今までで、いちばん夢中になった、私には高校生活で最高の思い出です。そのことを作文として残したかった。
 学校の宿題で書いた作文を、担任の先生が作文コンクールに応募するように勧めてくださいました。今は建築の一部分しか分からないけれど、将来は広く建築のことを知りたい。だから勉強を続けていくつもりです。

 
 
 

 私が建設業に興味を持ったのは、建設業に携わっていた叔父の影響が非常に大きいと言えます。
 幼い頃、私は叔父と様々な場所へ出かけました。その都度、自らが施工に関わった場所を誇らしげに紹介する叔父に、子供ながらに「こんなに大きい建物を作ったんだ。かっこいい。」と憧れを抱いたものです。そんな叔父は私の中で「ヒーロー」でした。そして、いつか自分も「人々が生活する上で欠かすことの出来ない道路や建設物を作りたい」と思うようになりました。
 更にその思いを決定付けたのは、大学時代に経験した東日本大震災です。地震によりガス・水道・電気等のライフラインが停止し、山は崩れ、国道も寸断されて救助隊も救助に行けないという状況が福島県内のあちこちで見られました。
 さらに追い打ちをかけたのが東京電力福島第一原子力発電所の爆発による放射性物質の飛散です。その時は「被爆するから外に出ない方がいい。避難した方がいい。」と様々な噂が流れ、未曽有の大災害に皆、自分の事で精一杯でした。
 そんな中、バックホウ等の重機とダンプトラックで国道の崩落した山の土砂を運び出す建設業の方々を目にしました。昼夜問わず作業し、ついには道路を開通させたのです。その姿は、幼き日の叔父がそうだったように、まさにヒーローそのものでした。そして「人々の生活を救う仕事がしたい」という思いが一層強くなり、建設業に従事することを決めました。
 現在、私は東日本大震災において甚大な被害を受けた福島県浜通りで、災害復旧工事に携わっています。
 幼い頃、家族旅行で訪れた際には、潮干狩りや海水浴をしている家族連れや観光客で賑わいを見せていました。
 しかし、震災後に目にした光景は以前とは全く異っていました。かつてあった堤防や商店、砂浜は無く、壊れた堤防や家の基礎、山積みの瓦礫のみが残されている状態でした。テレビや新聞で震災の悲惨さを知っているつもりでしたが、実際の光景を目の当たりにして、震災の脅威、悲惨さを痛感しました。
 私の現場は津波によって壊れた海岸堤防の復旧工事でした。海岸工事の施工はまだ三年目の新米社員だった私にとってはどれも初めての経験で、日々勉強でした。
 そんな時、私は堤防基礎の均しコンクリートの打設高さを間違えるというミスをしました。コンクリートを斫って壊してから、次の日の打設の準備をしなければならず、職人さんに夜遅くまで残業してもらう結果になってしまいました。自分のミスで多大な迷惑をかけてしまった事に、当時はかなり落ち込みました。
 今は、その時の申し訳ない気持ちと感謝の気持ちから、職人さんの作業効率が上がるような段取りを常に心掛けています。
 二年四ヶ月の長い工期も終わり、無事に海岸堤防が完成した時は、涙が出るくらい嬉しく、計り知れない程の達成感がありました。
 建設業の魅力はなんといっても、この完成した時の「達成感」だと私は思っています。
 現場内で問題が起きた時、発注者の方や受注者である私達、職長で必死に解決案を考え話し合い、問題解決の糸口を模索して最善の方法で施工する。その繰り返しが現場だと思います。現場で働く全員が考え、話し合うことは非常に大切です。そして、それをまとめて、全員のベクトルを合わせることが私達の役目だと思います。苦労はありますが、この達成感は他の業種では味わえないのではないかと感じます。
 この仕事は、決して楽な仕事ではありません。しかし、完成した堤防を散歩する年輩の方に「助かった。これで安心して暮らせる。ありがとう。」と声をかけられると、言葉では言い表せないほどの喜びを感じます。また、「人々の生活を救う仕事がしたい」という思いを少しですが実現出来たのではないかと感じています。
 私はこの建設業という職業はヒーローになれる職業だと思っています。目立って人の命を救ったりするわけではありません。しかし建設業は震災で苦しむ人々を違う角度から救う「ヒーロー」ではないかと思います。私はまだ、駆け出しのヒーロー見習ですが、これからもっと努力し、勉強し、考え、苦労しながら本物の「ヒーロー」になれるように一生懸命尽力していきたいと思います。

 作文コンクールは会社の勧めで挑戦しました。カッコイイ建設業のことを教えてくれた叔父と、建設業がヒーローのような仕事だということ、ありのままの自分のことを題材に書きました。私が入職したきっかけは、叔父の影響が大きいのです。受賞を叔父に伝えたいと思います。
 現在は、新知町の海岸沿いに津波が来ても街の人を守れる堤防のように高い道路を造る工事に携わっています。

 
 

 じりじりと容赦なく照りつける日差しが私の体力を奪う。建設業に足を踏み入れてはじめて経験する夏の暑さは、今まで猛暑日を冷房の効いた部屋で過ごしてきた私にとって想像をはるかに超える過酷なものだった。 
 私がこの業界に興味を持つようになったのは親戚の叔父の存在が大きい。お喋り好きな明るい性格で、一瞬で場の雰囲気を明るくできる機知に富んだ人物である。私はこの叔父に幼い頃からなついていた。ゼネコンに勤務し定年までバリバリの現場監督を務め上げたキャリアに誇りを持っており、盆や正月に親戚が集まった時など、自分が携わった現場での逸話を武勇伝のように語った。「おっちゃんな、ずっと地下鉄が走るトンネルを掘ってたんやで。そりゃもう大変な現場やった。でも、おっちゃんや大勢の人が一緒に頑張ったからこそ今、地下鉄が走りよる。簡単に行きたい所へ行けて便利やろ?」携わった工事現場での苦労話、苦労を乗り越えて完工した時の喜び、人々の生活を便利にする建設業に携わった事への誇りを臨場感たっぷりに話すのが常であった。七十歳近いにもかかわらず少年のように目をキラキラさせて語る姿を見て、私もこの楽しそうな仕事をしてみたいとおぼろげながら思うようになった。
 気が付いてみると、私が選んだ進路は普通科の高校ではなく土木について詳しく学べる工業高等専門学校だった。現場監督に僅かの憧れを抱いて進路を決めた私だが、選んだ部活は日焼けするのを嫌ってバドミントン部という優柔不断さもある。
 そんな私が現場監督に就いて2年が経った。自然を相手にする仕事で当然夏は暑く、冬は寒い。日焼けを嫌った学生時代の自分にとって信じられない程、夏は日に焼け、真っ黒になる。その姿を見かけた恩師が心配して日焼け止めクリームを差し入れてくださったくらいだ。しかし、今の私は日焼けなど気にならないくらいこの仕事に魅力を感じ、のめり込んでいる。
 入社して最初に配属になった現場は、景観地区の中心部に芝生広場を造る工事だった。工事終盤からの途中参加であった。配属から数日後に広場内にできる園路と階段のコンクリート打設が行われた。ポンプ車を操作し生コンを圧送する者、圧送された生コンを敷均す者、コテで天端均しをする者、誰一人無駄な動きをしている者はいなかった。私は何も分からずただ見ていることしかできなかった。この中で一人だけ蚊帳の外のような気がして悔しく、情けない思いをした。
 その後、広場の中心を流れる小川のようなせせらぎ水路を造る工程に差し掛かり、位置出しの測量業務を担当した。明らかに広場のシンボルになる構造物の位置出しという重責に緊張した。丁張りを設置し、重機オペレーターに所定の位置まで土砂を掘削してもらう。その後、砕石を敷いて転圧し、均しコンクリートを打設した。その上に鉄筋を組み、躯体コンクリートを打設し、せせらぎの概形ができ上がった。ここから仕上げ作業に取り掛かる。水が流れる水路の底面に化粧砂利を敷き詰める作業だ。石工の職人たちに混ざり私も一緒に作業した。手作業でひとつひとつ丁寧に並べていくうちに、完成形が見え始め、胸が高鳴った。すべての化粧砂利を並べ終え、せせらぎ水路が完成した。
 完成したせせらぎ水路に通水し、上流から下流に一定の速さで水が流れていく光景を目にした時、今までの人生で他では得たことのない感動を覚え、鳥肌が立った。自分も物造りの輪に入れた事を実感し、喜びを感じた。工事が終わって気付いたのだが、顔も手も日焼けで真っ黒になっていた。学生時代は日焼けを嫌がったが、この時は現場で働く一員になれた事の快さが勝り嬉しかった。
 建設業の魅力は、各々の役割を担ったスタッフが協力して一つの構造物を造り上げる事にある。現場監督や重機オペレーター、重機をアシストする作業員。全員で工事の効率化と安全性を追求し、入念な打合せを行いながら進めていく。そのうちの誰かが欠けても工事の進捗は止まる。各々の専門家たちが知恵を絞り経験を活かし、力を合わせて一つの構造物を造り上げるチームプレーに他ならない。工事に関わる全員が最高のものを造りたいという気持ちで協働し、全力で仕事に取り組むこの業界は本当にカッコイイ。
 入社当時は何も分からずただ見ているだけだった私も、上司や職人の指導のおかげで、少しずつ出来る事が増えてきた。しかし、覚えなければならない事がまだまだ沢山ある。理解すべき事が多すぎてくじけそうになる事もあるが私は負けない。いつか一つの現場のスタッフの中心で「最高のものが出来た。」と喜び合える日を目指して。

 昨年受賞された北陸地建(株)の濱本さんは中堅(13年目)社員の視点から建設業への思いを綴られ、それを読んで心を打たれました。
 入社3年目の私が見た建設業の姿を伝えたいというのが応募の動機です。国が女性の入職を応援する施策を進めていること、私の会社でも"働きやすい職場"を目指し、残業も少なく、トイレなどの利用設備にも配慮がされるようになりつつある現状などから、女性でもできる仕事だということを多くの人に発信し建設業のイメージを変えていきたいです。

 

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