熈代勝覧(きだいしょうらん)
に見る江戸の町と普請(ふしん)
今回のイラストは、江戸後期の文化二(一八〇五)年に描かれました『熈代勝覧』という絵巻の一部をリメイクしたものでございます。日本橋から神田まで(現・中央通り)を描いたもので、長さは十二・三mもあります。私がリメイクしたのはそのうちの半分くらいです。
小さな方の絵をご覧下さい。左端が日本橋です。橋の袂(たもと)から川沿いに「魚河岸(うおがし)」がありました。現在の「築地市場」の前身ですね。
面白いのは、大通りには「八百屋(やおや)」が並び、野菜の市が開かれていることです。今でも、築地には青果市場もあり、私は若い頃に場外の青果問屋でアルバイトをした思い出があります。江戸時代から魚と野菜は近くで商われていたのですね。
そして、中央より右手に紅殻格子(べんがらごうし)の店が並びます。これは、現在の三越伊勢丹デパートです。今もほとんど同じ場所に本店を構えていますね。
日本橋は商業の中心地で、ここに並ぶのは「大店(おおだな)」と呼ばれる商店です。特に目立つのは、馬具や陣笠(じんがさ)など、大名家との商いをする店です。これらは参勤交代の必需品でございますから。
どの店も間口は二間から五間ほどです。例外なのは一丁の半分を占める三越くらいなものです。これは、当時の税金が間口に課せられたからで、狭い方が節税になります。京都の町屋が「鰻(うなぎ)の寝床」と呼ばれる細長い造りなのと同じ理由ですね。
前回はこの奥に「長屋(ながや)」が立てられたとお話しいたしましたが、この辺りは長屋は少ないようです。しかし、当時の店は「通い(かよい)」で雇うことは少なく、ほとんどが住み込みで「職住一体(しょくじゅういったい)」でした。ですから、奥には主人の住まいも社員寮もございました。するってぇと、江戸時代には「通勤ラッシュ」はないってことですね。
さて、この絵巻の中から、建築に関わる風景を覗いてみましょう。絵の中央に、新築中の店があります。普請(ふしん)現場を板壁で囲っていて、今と変わらない風景ですねぇ。しかし、この頃は板を作るのも人力ですから、これは相当贅沢なのだろうと思われます。
板囲いの内側には、足場を組んだ巨大な柱が立ててあるのが見えます。これは「胴突(どうづき)」という地固め用の丸太でございます。丸太を取り囲んでいるのは「地形師(じぎょうし)」という胴突職人と鳶(とび)で、大きな丸太を持ち上げては落し、基礎固めをしています。この時歌われるのが「胴突歌」や「木遣り(きやり)」です。きっと、地形師はひと突きで、土地の善し悪しを見抜いたことでしょう。
そして、その板囲いの前にある、大八車(だいはちぐるま)に積まれているのは、礎石だそうです。この車は人力用ですが、材木などを牛が引く姿が描かれています。牛は馬喰町(ばくろちょう)や高輪(たかなわ)、牛込(うしごめ)などに小屋があり、そこから出動します。
一方、一般的な商品は馬や人力で運びました。賑やかな割には大量に商品を運搬する姿が見えませんが、下町には水路が縦横に通っていますから、そうした品は船運が使われました。
善養寺ススム
1965年生まれ。『江戸の用語辞典』(廣済堂出版)著者。イラストレーター、江戸研究家。江戸時代に育まれた「江戸の間(ま)思考」を研究。その他『江戸の町とくらし図鑑』『江戸の人物事典』『江戸の女子図鑑』『東海道中栗毛弥次馬と江戸の旅』など