歴史資料

絵で見る江戸のくらし 21.江戸町火消しの心意気に学ぶ

文・絵=善養寺ススム

江戸町火消しの心意気に学ぶ

 昨年の十二月に糸魚川市で起きた大火災は、江戸時代の大火を思わせ、大変驚きました。昔も今も人の力は、荒ぶる炎になかなか対抗できるものではないことを、改めて教えられました。
 「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるほど、江戸という都市は火災が多発しました。当然、江戸時代の人々と火事の闘いは壮絶でございました。なにしろ現代のように消火する術がなかったのですから。
 火事に対して人々ができることは、火元の家や周囲の家屋敷を取り壊して、燃えにくくしてしまうことと、飛んで来る火の粉を消すこと、そして、避難することでした。
 火が出ますと、すぐに出火元や延焼範囲が描かれた瓦版(新聞)が発行されます。それを見て職人たちは贔屓(ひいき)になっている店へ、避難の手伝いをしに駆けたと言います。
 江戸の初期に存在した火消し組織は、武士の軍隊で編成されたものだけで、武家屋敷や寺院への延焼を阻止するのが役目でした。当時は自治社会なので、庶民は自分たちのことは自分たちでしなければなりません。慶安元年(1648年)に各町十人ずつの「店火消し(たなびけし)」が作られますが、各町ばらばらでは避難を呼びかけるので手一杯でしょう。
 そこで立ち上がったのが、大店の並ぶ日本橋の人々です。日本橋二十三町で百五十人を超える町火消が組織されます。さらに、江戸の全地域に組織的な火消しが必要だと、町奉行・大岡越前に上申し、享保五年(1720年)に、お馴染みの「町火消し」いろは四七組+向川岸十六組が編成されました。これによって江戸中の町で鳶が雇われ、火消しと兼任するようになります。
 現在は町火消に当たる消防団や水防団は縮小していますよね。これは人々の暮らし方の変化が主な原因で、しかたのないことです。
 私は以前、カヌーなどの川遊び仲間で、全国規模の水難救助のNGO作りに参加したことがあります。同一の知識と、同一の救助テクニックがあれば、見知らぬ者の寄せ集めでも、迅速で安全な救助活動ができます。つまり、少し目線を変えれば、川と同じように技術や体力のある人が、町にもたくさんいるのです。
 そうです、建設関係者が共通のレスキュー訓練を受け組織を作れば、とても頼もしい存在になることは間違いありません。
 糸魚川の大火災の時にも、不足する消火用水を運んだのは、コンクリートミキサー車でした。彼らの姿に、江戸時代の町火消の心意気を見るようで、とても感動しました。
 個人、個人のボランティアと、組織の違いは、役割などの説明なしでも、すぐにチームが組めること、様々な能力を活かした役割分担で、効率的な行動ができること、そして、とても大事なことは二次災害を起こさない管理ができることです。
 チームの役割は、①リーダー、②サブリーダー、③記録係、④実行隊員、⑤連絡係というのが基本です。
 リーダーは作業全体の管理、特に二次災害の防止と外部との連携が仕事です。ですから、現場作業は直接行ないません。現場にはサブリーダーが入り、安全と作業の管理をします。実行隊員は作業だけでなく、常に報告が重要です。記録係もとても大切な役割です。記録の正確さは、チームの信頼度にも繋がります。
 そして、連絡係。広域災害の場合は情報の集約場所としても重要です。これには、宅配業者やタクシー会社など、無線網を持った企業の参加が望まれます。
 基礎的な救助のトレーニングの他に必要なのが、コンクリートミキサーの消火用水運搬のような、機転の利いたアイデアです。例えば、日常の道具を使ってどんなレスキューができるか、定期的なコンテストを開くのも面白いと思います。それなら、地域の状況に合った技術を作り出し、更新していくことができますし、何よりも参加者のプライドとモチベーションを育てることができるでしょう。
 このように、私たちにできることを組織して、江戸町火消しの心意気を現代に引き継げられると、頼もしいだけでなく文化的にも素敵ですよね。

 
善養寺ススム


1965年生まれ。『江戸の用語辞典』(廣済堂出版)著者。イラストレーター、江戸研究家。江戸時代に育まれた「江戸の間(ま)思考」を研究。その他『江戸の町とくらし図鑑』『江戸の人物事典』『江戸の女子図鑑』『東海道中栗毛弥次馬と江戸の旅』など

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