エコ都市・江戸ともったいないの秘密
《紙屑買》使い古した紙屑を買いとる商売。家庭から集めて来て売るものもいる
《肥取》トイレの糞尿を定期的に集めてまわる
近年注目される「もったいない」の思想は、江戸時代に生きていました。江戸中期には人口が百万を超えたとされる江戸の町ですが、リサイクルが広く行われたため、環境へのダメージの少ない都市でした。
リサイクルシステムを支えたのは《紙屑買(かみくずかい)》や《肥取(こえとり)》などの資源収集業です。紙は建築から衣料、文具書籍、トイレットペーパーや生理用品などに広く使われました。また、《屑拾(くずひろい)》という、町に落ちている紙を拾って再生する、清掃業に近い仕事もありました。そのためこの百万都市からは、紙ゴミは出ませんでした。
また、割箸も《箸処(はしどころ)》が回収し、表面を削ったり漆を塗ったりしてリユースされ、最後は薪としてエネルギー利用されました。こちらもゴミ廃棄はゼロです。
もっとも量の多い廃棄物は、糞尿ですが、これは肥取が《下肥(しもごえ)》として買い入れました。買うのは都市近郊の農家で、他に生ごみや家畜の敷藁(しきわら)、糞なども畑の肥やしとして回収販売されて行きましたので、これもゴミ廃棄量はゼロでした。
一方、同時代の西欧ではパリが七十万人、ロンドンが六十万人の人口(産業革命後は江戸を抜く)でした。それらの都市では、ゴミや糞尿は溝(どぶ)や道に捨てる規則でした。そのため、道は常に汚く、汚物で溝が詰まって溢れることもしばしばだったそうです。
溝や道に投棄しない町では、城壁の外にある沼の畔などに公衆便所が設置されており、人々はそこへ用を足しに行ったり、糞尿を捨てに行ったりしていました。当然、自然処理は追いつかず、衛生状態は悪かったそうです。この頃の西欧の都市には、ちょっとと言うか、だいぶ住みたくないですね(江戸後期には水洗トイレと下水道が普及し、大きく改善されます)。ただし、江戸では郊外に畑が広がり、その一面に下肥がまかれましたから、周囲に広がる悪臭がもの凄かったそうです。
江戸百万都市を支えた食糧は、こうした近隣の畑で作られました。ちょうどこの頃は五代・綱吉政権で、江戸市民は肉食をしませんでした。そのため、西欧のように都市内での畜産や屠殺(とさつ)による廃棄物、皮革産業による汚染が少なかったことも、環境が良かった要因のひとつと言えます。
エネルギー源として伐採され、森林が失われることも、都市化による環境破壊のひとつです。ところが江戸のエネルギー使用量は、人口に比べてさほど多くありませんでした。それは、暖房に薪を使わず、火鉢や炬燵で僅かな炭や炭団(たどん)を用いたことと、大量に湯を使う風呂は、庶民が公衆浴場を利用するなど、省エネ生活していたからです。料理でも日本の窯は世界で最も熱効率のよいものを用いるなど、省エネ技術も発達していました。
また、現代では簡単に木を伐ってしまいますが、江戸時代、木には《木魂(こだま)》が宿り、安易に伐れば祟ると信じられておりました。衣食住のすべてを植物に頼っているのですから、植物を大事にすることは当然なのですね。
エコ都市の基本、「もったいない」の思想は、そんな命の尊厳から生まれたものかもしれませんね。
《とっかえべぇ》釘や鉄くずを子供に集めさせ、飴と取り替える《屑屋(くずや)》
《灰買》竃や火鉢にたまった灰を買い集めリサイクルする
《木っ端売(こっぱうり)》建築廃材の木っ端や大鋸屑(おがくず)を売る商売
《鋳掛屋(いかけや)》出張して穴の空いた鉄釡などを修理する商売。
江戸時代は下駄や桶、傘、眼鏡、煙管なんでも修理ができ、修理屋は道具を抱えて町を歩いていた。
絵はすべて『江戸の町とくらし図巻より』
善養寺ススム
1965年生まれ。『江戸の用語辞典』(廣済堂出版)著者。イラストレーター、江戸研究家。江戸時代に育まれた「江戸の間(ま)思考」を研究。その他『江戸の町とくらし図鑑』『江戸の人物事典』『江戸の女子図鑑』『東海道中栗毛弥次馬と江戸の旅』など