大名屋敷と表門
『東海道中栗毛弥次馬と江戸の旅』(洋泉社刊)より
「小田原宿」で、悪戯をして五右衛門風呂を壊して怒られる弥次喜多
今回の絵は、江戸時代のミリオンセラー『東海道中膝栗毛』でございます。
原作(十返舎一九・一八一四年)では、江戸で事件を起こした弥次さん喜多さんが伊勢参りの旅に出る話ですが、四十七年後の一八六一年に岳亭春信(がくていはるのぶ)によってリメイクされた『東海道中栗毛野次馬』では真っ直ぐ京都に向かって旅をします。
この違いは年代の差です。膝栗毛は旅行ファンの読者に好まれましたので、江戸中期の文化年間には当時流行りの《伊勢参り》がテーマでした。
この頃は、伊勢参りなら信仰として、庶民は誰でも好きに旅ができたのです。武家は一応、公務員であり軍人なので、自由に旅はできませんでしたが。
一方、幕末になりますと、《京都見物》の方が人気になりました。加えて、横浜が開港されたので、原作になかったエピソードが加えられていたりしているので、この二冊を比べながら見ると、いろいろな発見があります。
さて、絵の《小田原宿》で喜多八がひっくり返している風呂は、《五右衛門風呂》です。関西特有の風呂で、当時の江戸にはございませんでした。この宿屋はできたばかりという設定で、そのために関東では珍しい五右衛門風呂を置いたのだそうです。
しかし、その使い方を知らない弥次喜多のふたりが、出鱈目(でたらめ)なことをして、ついに風呂を壊すという噺です。
江戸時代は街道の設置とともに、情報や商業が行き交い、全国的に発展を遂げました。しかし、この五右衛門風呂のように地方色も豊かだったのです。
建物も、地方ごと、さらに山間部ですと谷ごとに微妙に違いがあるものです。それは一言でいえば大工の違いでもありますが、大きな理由はやはり風土です。
豪雪地帯は《合掌造り》など、雪に強く熱効率のいい構造で、台風の多い地域では風に強く、そして、夏蒸し暑い京都では、中庭が設けられ、そこに水を打つことで上昇気流が発生し、無風の日でも座敷に風が流れる仕組みになっています。
これらの建築技術は、単純に強いとか戸口が広いといったものではなく、現代でも参考にされるほど科学的であるのが興味深いところです。何しろ、当時の建築材料は、主に石土と植物に限られているのですから。
しかし、単純な素材と侮るなかれ、木は骨格材の他に《断熱》性能に長け、土は《防音》《耐熱》、そして《蓄熱》と《調湿》の機能も兼ね備えます。これらを巧に使って住みやすい家を作っているところが、日本建築の注目されるポイントでございます。
「岡部宿」で宿屋の留女に呼び止められる弥次喜多
よくある《土間》も一見、原始的ですが、実は室内の温度調節に重要な機能を持っていて、夏涼しく、冬暖かくするのに役だっています。
特徴的なのは、岩手の《南部曲り屋》で、母屋と厩(うまや)が合体したL字型の建物。寒い季節に風に当たることなく、牛馬の育養をするための家です。厩との間にある土間には大きな竃(かまど)が設置されていて、煮炊きをした熱が土間の土に溜まり、人も牛馬も暖かく暮らせる構造になっています。
また、冬の間は厩の敷き藁(わら)は交換しません。糞尿の混ざった敷き藁が、発酵することで熱を出すのも、室温維持に役立っているようです。もちろん、匂いは凄いですけどね。
しかし、日本建築は基本的に《夏向きの家》だそうです。左の絵は《岡部宿(静岡県)》の宿です。表の店の向こうに中庭を挟んだ座敷があって、泊まり客がのんびりしています。いかにも涼しそうでございますね。
善養寺ススム
1965年生まれ。『江戸の用語辞典』(廣済堂出版)著者。イラストレーター、江戸研究家。江戸時代に育まれた「江戸の間(ま)思考」を研究。その他『江戸の町とくらし図鑑』『江戸の人物事典』『江戸の女子図鑑』『東海道中栗毛弥次馬と江戸の旅』など