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復興に向けた街づくりへの取組み

復興に向けた街づくりへの取組み

宮城県女川町 きぼうのかね商店街
岩手県大槌町 いわてデジタルエンジニア 育成センター
独立行政法人都市再生機構 (UR都市機構)

CASE1

 町中心街の建物が津波により全て流失してしまった宮城県女川町では、住民が町内での買い物をする手段がなく、早急に商店街の復旧をする必要があった。海外の支援団体から資金面援助もあり、一般社団法人パッシブハウス・ジャパンの森みわ氏により木造仮設商店街の構想がスタートした。2011年4月に同氏が東北芸術工科大学の竹内昌義教授と協同考案した木造仮設ユニット『2525フレーム(2500mm×2500mm×5000mm=ニコニコ)』の発展型として設計されたこの商店街は、仮設でありながらも木製ペアガラスサッシの採用と高断熱気密化により、東北地方の次世代省エネルギー基準を満たしているため、一年を通して快適な空間を保つことが可能となっている。また構造材、外壁仕上げ材共に無塗装の国産杉を使用しているため、解体後はバイオマスエネルギーとしても活用できる環境配慮型の建築物となっている。

 建設地には宮城県が所有する宮城県立女川高校のグラウンドに決まり、2011年12月に着工。2012年4月29日に「きぼうのかね商店街」としてオープンを迎えた。

 商店街は、商工会建設の木造の仮設商店が30店舗、国の事業で建設されたプレハブ型の仮設商店街20店舗からなり、飲食店や青果店はもちろんのこと、理容室、衣料品店の他、酒店や船具店などもある。また町商工会や観光協会の事務所、郵便局や金融機関も併設されており、被災地では最大規模の仮設商店街となった。
 もともと粘土質の高い赤土の土壌も歩きやすく舗装され、断熱が十分に施された建物は東北の厳しい冬でも温かく、木造店舗の木のぬくもりに住民もこころを癒されるそうだ。建物の内装は、店舗によってそれぞれ異なり、店主が自ら設計・施工をオーダーするため、震災前の店内のレイアウトを再現している店主もいるという。
 以前は駅前にあった女川の象徴ともいうべき「からくり時計」には、当時4つの鐘がついていたが、津波により駅舎もろとも流されたものの、1つだけではあるが瓦礫の中から見つかった。現在でも「希望の鐘」として新たな命を吹き込まれ「きぼうのかね商店街」のシンボルとして商店街に飾られている。

 

CASE2

 東日本大震災による巨大津波で壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町。海沿いの平地にはかつて住宅や役場などの建物が密集していたが、3700棟以上の家屋が全壊・半壊、800人以上が亡くなり、400人以上が行方不明になった。その復興に向け、同町では2011年末、被災した地元住民の要望を取り入れながら、大槌町東日本大震災津波復興計画基本計画(以下、復興計画)を策定した。
 計画策定に当たっては、以前の市街地をもとにしながら、防災機能を加えた新しい街並みも求められた。震災前の建物は、ほとんどが基礎を残すだけ。その周辺には険しい山並みが迫っている。この場所に津波の被害を防ぐ防潮堤や中心市街地、道路、そして新しい住宅地からなる街並みをゼロから作っていくことが使命だった。
 従来方式で、ただ地図上に避難道路や住宅地、防潮堤などのインフラ施設を描いただけでは、「町から海が見えるのか」など、復興後の町がどんなイメージになるのかが一般の人には分かりにくい面があった。そこで計画策定に当たっては、復興計画案を分かりやすくするため、同町では土木分野のBIM(Building Information Modeling)を活用し、復興計画案の3D化を採用にしたのである。ちなみに東日本大震災の復興計画の検討に3Dモデルを使うのは稀少な事例だそうだ。
 3D化したことによって具体的かつ視覚的に分かりやすくなったのは、高低差や勾配だった。高台を切り開いて住宅地にする候補地を3Dモデルで見ると、地図で検討していた時には気が付かなかった勾配の状態が手に取るように分かった。また、山地に計画した道路の勾配が大きくなりすぎてクルマが通れそうにないことや、高地を平らに造成して住宅地を作ると残った斜面が急になりすぎることなども3D化したことで判明。勾配や高低差については計算するまでもなく、視覚的に瞬時に問題点が分かるのが強みになっている。
 大槌町東日本大震災津波復興計画は、2011年度から8年間にわたり、復旧期(~2013年度まで)、再生期(2014~2016年度)、発展期(2017~2018年度)にわけて実施される計画。3D化によって本格的な復興に向けて動き出した同町の今後に注目したい。

【出展:建設ITワールド】http://www.ieiri-lab.jp/

 

CASE3

 UR都市機構(以下UR)の現地調査の第一陣は、震災直後の2011年3月20日に現地に入った。まだ自衛隊が入って間もない頃で、道路に瓦礫がたくさん積まれている中で調査を行った。その調査結果をもとに、被災地復興においてURでは、主に以下の4つに取り組んでいる。
 まず、1つ目は「応急仮設住宅用地等の提供」。国交省から要請を受けて約200haの事業用地を確保。そのうち約8haを、盛岡南新都市地区での戸建住宅、仙台市のあすと長町地区やいわきニュータウン地区でも仮設住宅用地の提供を行っている。
 2つ目は、「応急仮設住宅建設支援要員・宅地危険度判定士の派遣」。応急仮設住宅建設支援要員として、岩手県73人、宮城県83人、福島県25人の計181人を派遣。宅地危険度危険判定士を3名派遣している。
 3つ目は、「復興計画策定支援」では、岩手県・宮城県・福島県の被災公共団体に職員を派遣。初めに岩手県からの要請を受け、4月には7市町村と、バックアップとして盛岡連絡所に職員を派遣した。6月には宮城県からの要請を受け、7月から人員を投入している。この違いは、岩手県は復興計画の策定を被災市町村で行うスタンスであったため早い段階で人が必要となったが、宮城県は県主導で復興計画を作る考えだったから。それに続いて福島県から要請を受け支援をしている。
 4つ目は、「各県における支援」。岩手県では、被災直後の4月頃は復興計画策定のための検討組織や委員会の立ち上げ等の体制づくりなど、計画検討の初動期のお手伝いをした。その後、国の直轄調査を使って各公共団体が復興計画を策定できることになったので、直轄調査への作業の指示などを公共団体の職員と一緒に行い、計画作りを進めている。岩手県は2011年12月後半に復興計画の議決を取り、復興計画が議決されたのでいよいよ事業を実現する段階に移ってきた。現在は、事業計画の策定支援や、区画整理事業や防災集団移転促進事業などの事業の受託施行、災害公営住宅建設などの支援をしている。
 2011年度末までには、URが職員を派遣した全ての被災市町村で復興計画が策定され、12市町と覚書や協定を締結するなど、復興まちづくりが実施の段階に進みつつあったことから2012年4月には、仙台及び盛岡に設置した両事務所を、それぞれ「宮城・福島震災復興支援局」及び「岩手震災復興支援局」へと格上げし、被災地の復興まちづくりを迅速かつ強力に支援するための体制を本格的に強化し、現在18の被災市町村で復興まちづくりを開始している。

 

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