人材確保・育成

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FOCUS | 全国左官技能競技大会へ女性として初出場 富山県

株式会社マツウラ
本 社 富山県中新川郡立山町
設 立 昭和42年
社 長 松浦 博通
社員数 15人

No.01:専門工事業者インタビュー

「左官職人になりたい」という彼女の想いを伝えたい

専務取締役 松浦 哲司 氏

専務取締役 松浦 哲司 氏

 当社は地元密着をモットーに、タイル、ブロック、コンクリート圧送工事などの左官工事のほか、玄関アプローチや駐車場などのエクステリアを中心に請け負っています。仕事の多くは地元施設や病院、町発注の案件です。
 「左官」は壁屋さんとも言われ、マンションや住宅など建物の壁や床を塗り仕上げる仕事です。いまは内装の壁も石膏ボードなどの建材の上にクロスを貼り仕上げることが多くなりました。

 

左官を残したい、プロデューサーとして

大会の様子

大会の様子

 左官は今、仕事が多くあるにも関わらずそれに見合う人手が不足しています。これは「左官」という仕事があまり知られていないため、高校の進路指導の先生方との話のなかでも「左官って何?」と言われてしまうこともしばしばあります。学生にも、知らないものは勧めようがないのです。
 5年前「私を左官職人にしてほしい」と突然やって来たのが土肥明日香さんでした。女性の少ない職場ですから「まさか自分の娘くらいの女性が弟子として入ってくるとは…」と、職人さんたちも戸惑ったようです。教え方から夜の帰宅まで、心配が多かったようです。道具のコテは自身で買うように言っていますが、彼女へコテのプレゼント合戦が始まったりと、まあ色々とありました。とにかく分からないことが多かったのですが、東京に女性だけの左官会社があると聞き、「ハラダサカンレディース」の社長に相談しに行ったこともあります。いまは現場も明るく、彼女の存在は会社にとっても強みです。
 以前、左官職人を紹介するテレビ番組に出演する機会がありました。「女性の左官職人」というのは全国的にも珍しく、ここ富山にいたっては彼女ひとりです。話題性は十分あり、左官職人が減り続ける昨今、彼女を糸口になんとか現状を打開できないものか。そんな期待から彼女に協力してもらい出演しました。その映像を学校の先生方にもご覧いただき、近頃少しずつ左官への認識が上がりつつあります。
 左官の仕事は、先輩方の熟練した仕事を見ながら盗むもの。業界には職人気質で寡黙な方が多いんです。その中でも試行錯誤を繰り返して、ようやく自分だけのやり方が出来上がる頃には仕上がりにも個性が出てきます。腕の見せ所ですね。左官職人はアーティストだと思っています。

 

泥団子づくりと左官、実はよく似ている

泥団子づくり

泥団子づくり

 左官の仕事は、実は誰しも経験していると思うのです。幼い頃に泥団子を作った思い出は、みなさんきっとあるでしょう。土の表面をきれいに磨きあげるとなんだか気持ちが良かったものです。その感覚と、壁をきれいに塗り仕上げる左官の基本的な性質というのは、実はとてもよく似ているのです。ただ、その記憶と左官とが結びつくのは、やはり経験者ゆえのこと。土を触ったり、磨いたり、そういったことが好きなお子さんに「左官という仕事もそれと同じなんだよ」と教えてあげたいのです。
富山県左官事業協同組合では、そんな思いから小学生と一緒に泥団子づくりをするイベントを行っています。子どもたちが将来この仕事に入ってくれたらいいですね。

 

全国左官技能競技大会へ、女性として初めて出場

大会の様子

競技中は、立ち振る舞いを優美にするため服を汚してはならない

 彼女に大会のことを話したのは、開催の2~3ヵ月前のことです。伝統工法の継承と業界の活性化を目的としたこの大会では、今ではほとんど見られない泥や土壁を扱う伝統工法を競います。わたしもその思いをもって彼女に出場を勧めたのですが、当然彼女にそんな技術は無く、大会まで練習する時間もほとんどありません。初めは断られましたが、この大会の存在意義や消えつつある左官の伝統技術を守ることについて、彼女なりに考えて出場を決めてくれました。
 大会は隔年で開催され、今回で45回目の大会となります。全国から選抜された15人が出場の権利を得るのです。富山県は石川県、福井県とともに北陸ブロックに属します。出場選手は皆さん「自分が日本一になってやる」という熱い情熱と強い意気を持った人ばかりです。彼らとともに競い合いながら、日ごと左官職人としての矜持が芽生えていくその姿をこうして間近で見ることができ、私としても本当にいい経験をさせてもらいました。
 大会では賞をいただいたのですが、実は制限時間に間に合ったのは当日が初めて。本番は皆さんとんでもない集中力を発揮して練習よりもタイムが上がるのです。

 

「大会へ出場してくれて本当にありがとう」

表彰式での記念撮影

表彰式での記念撮影

 大会前に京都で北陸ブロックの合同練習があり、京都を何往復もしました。京都から帰る車中で、彼女が何度も泣いていたことを覚えています。練習を重ね、頭では分かっていても手が動かない。普段の現場では納得のいくまで、思ったままに仕上げることができるのですが、この大会では1秒も無駄にはできない。どこかで手を抜かなければならない。だから辛く、心も荒んできてしまうのです。私は総合建設業を経て左官の業界に入りました。いろいろな専門職種を経験しましたが、左官は本当に難しく奥が深い。
 大会が終わった後、懇親会がありました。同じ苦労をしてきた参加選手全員の心が開けたように思えました。その時に、久しぶりに彼女が笑う顔を見ました。そして彼女から初めて「大会へ出してくれてありがとう」と言われました。嬉しかった。
 本来10年で覚えることを3ヶ月で覚えるのですから、相当な練習量です。当初は大会の練習用の材料費用も計算していましたが、最後の方は分からなくなってしまうくらいの練習量でした。人を育てるにはお金がかかります。助成金だけでは当然まかなえません。でも「やりたい」という人に投資できなければ、業界は続いていかないと思うのです。

 

左官の伝統技術を守りたい

大会で使用していた道具一式

大会で使用していた道具一式

 減り続ける職人。失われつつある伝統技術。どうにか左官を残そうって、今みんな必死でふんばっているんだと専務は言うのです。私も職人の一人として大好きな左官を守りたいと思いました。でも出場するからには、絶対日本一がよかった。
 練習当初は全く様にならなくて、「あぁ、もう無理」と何度も思いました(笑)。引き受けたことを後悔したほど。ですが、そんな風に心が折れたときに限って、いかにも職人らしくいつもぶっきらぼうな先輩方がひとり、またひとりと工房に顔を覗かせては「これ使いな」って、職人の命でもある道具を持ってきてくれるんです。皆さん左官が好きなんですよ。不器用な口ぶりからもそれがよくわかるんです。
 大会まで1ヵ月と差し迫ったあたりからは会社の配慮もあって、仕事の時間を練習に充てていました。そうして朝から晩までとにかく練習の日々が続いて、いよいよ本番。大会は3日間、朝から夕方までとにかく課題を作り続けるんです。4m×4mの狭い持ち場、優勝常連組が両脇を固めるなか、競技は始まりました。
 製作課題は高さ2m強、コの字型に建てられた壁に天井を乗せた、コンパクトな部屋の一角。この壁を仕上げるものです。この製作のなかにありとあらゆる左官の技術が凝縮しています。1分1秒が惜しまれるなか、3日間は本当にあっという間でした。本番まで長らく続いた緊張感で精神的にもぎりぎりでしたが、それも終わりを迎えた今、残っているのは清々しいまでの達成感だけです。職人さんや同じ選手とたくさんお話ができたことも嬉しかったですね。

 

古民家への注目に期待

土肥 明日香 選手

土肥 明日香 選手

 古民家への注目など、近年日本家屋の良さが再評価されていますね。日本家屋には自然素材が用いられるので健康にも良く、昨今の健康志向と相まって見直されているようです。
いわゆる日本家屋が住宅の標準だった時代、左官は壁の[仕上げ]を担ってきました。それが今、住宅様式の変化や建設工期の短縮化といった流れを受け、タイルなどの[下地]作りへと変わってきています。もちろんそれも住宅づくりの礎のひとつとして重要な仕事ですし、わたしもこの作業がとても好きです。ですが、左官の腕を存分に発揮できるという意味ではやはり伝統工法への憧れがあります。先輩方にいただいた、大切な大切なこても、使わなければどんどん錆びていってしまう。
日本家屋はお直しをしながら永く住んでいくものです。ご家庭と職人とのお付き合いも続いて、文化としてもとても魅力的なんです。

 

 

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