通勤途上での井の頭線車内。前に7人座れるシートがある。左端の老人は気持ちよさそうに寝ているが、あとの6名全員が、携帯とスマートフォンに没頭し、無我の境地に入っている。何をやっているのか、上から観察したところ、友人とみられる二人は、終点の渋谷まで会話もなく、スマホでゲームを楽しんでいる。中央の二人は、イヤホーンで音楽を聴きながら、やはりスマホでネットサーフィンをしている。そして残りの二人は渋谷に到着後も改札に至るまで真剣なまなざしでメールを返信している(写真-1)。
現在では当たり前の光景ですが、皆さんは、このような光景をご覧になり、どのように思われるでしょうか?本来、携帯は、単なる情報伝達の手段であったはずですが、スマホの登場により、若者を虜にする魅力あるアプリケーションやゲームが市場に溢れ、寸暇を惜しんでこれらと格闘している若者たちの姿に漫然とした不安を感じると同時に、彼らが管理職になった頃、会社でのマネジメントの在り方は変わるのだろうか……との思いが巡りました。
某現場事務所。全員にパソコンが与えられ、社員は、膨大なメール処理と本社や支店に提出する書類や施工計画書作成のため、パソコン相手に格闘している。事務所内は静かで整然としている(写真-2)。上司への業務報告は、メールで処理し、同時にCCで関係者全員とコンセンサスを得たつもりになっている。
施工図や会議資料等の修正についても本来、関係者を招集し意見交換すべきところを、サーバーを活用することにより効率化を図っている。デジタル世代に育った若手社員が業務効率化のためにITを活用するのは当然の方向と思われますが、対話せずにバーチャルな世界の中でコミュニケーションを図ろうとする姿勢に不安を感じております。小生の若い頃は、情報伝達の手段として直接対話と電話しかなく、事務所内は、活気と喧騒に溢れておりました。今更、IT以前の時代に戻れと言っているのではありません。他者と対峙し、交渉・説得・納得しながら仕事を進めるのが、本来のあるべき施工管理業務であり、コミュニケーションではないでしょうか?
さて、そもそも「コミュニケーション能力」とは、どのような能力を示すのでしょうか。ウィキペディアによりますと、「コミュニケーション能力」とは、一般的に「他者とコミュニケーションを上手に図ることが出来る能力」「よりよい人間関係を形成できる力」であり、人と人との間でコミュニケーションをとる方法・手法・テクニックを理論付けし、技術または知識としてまとめた「コミュニケーションスキル」とは異なるものであると定義付けております。即ち、「言語、声、文字、表情、身振り手振り、ファッション、匂い、スキンシップなど、相手の目・耳・肌など五感全てに働きかけ、意思や感情や思想などを伝達し合い、向き合った相手と信頼関係を築くことができる力」であると解釈できます※1。コミュニケーションはドッジボールではありません。相手が受け取り易いボールを投げるマインドとホスピタリティが重要であると考えます※1※2。
申し遅れました。小生は、1975年に鹿島に入社後、現場と建築生産に関わる管理部門を経験した後、1999年から東京建築支店における建築施工系社員の人事を、そして建築管理本部が発足した2003年以降は、全社の建築施工系社員に対する人事・教育に関わる業務を担当しております。今回も含め、計6回の連載で施工管理者にとって最も必要とされている「コミュニケーション能力」に焦点を絞り、同能力が不足傾向にある若手社員の実状を紹介すると同時に、同能力が不足するに至った原因と背景を分析し、学生時代に取り組み、経験してほしいこと、大学として、企業としてこれら能力の醸成に向けて配慮してほしいことについて取りまとめました。本連載が企業内でコミュニケーションを円滑に進めるための一助となれば幸いです。
<参考>
※1 「コミュニケーション学」 藤巻幸夫 実業之日本社
※2 「コミュニケーション100の法則」 伊藤 守 ディスカヴァー