2014.08.18
苦難を乗り越えた再開発事業 横浜みなとみらい21
現在の「横浜みなとみらい21」の大半が、明治初頭には海だった。当時、造船所や鉄工所、石油工場など造船関係の施設が多く操業し、港の拡大に伴う建設工事が積極的に進められていた。
大正十二(一九二三)年に発生した関東大震災により、荒野と化した横浜一体であったが、大規模な区画整理やインフラ整備が急速に進められ、震災後わずか六年で復興を果たす。人材と資材の海上輸送を可能にした横浜港ならではの復興であった。現在の場所に横浜駅が完成したのは昭和三(一九二八)年のことだが、横浜大空襲により、再び横浜の街は焼け野原となってしまう。復興から十六年後のことだった。とりわけ横浜駅西口の被害は大きく、米軍の接収による開発の遅れも重なって、長期にわたって空き地となった。この頃から駅の東と西とで都市機能が分断されたのである。
高度経済成長が始まった昭和三○年代、横浜郊外での市街地化が急激に拡大する。就業者や居住人口の新たな流入と、二分してしまった都心部の一体化を目指し、「みなとみらい21事業」の構想が打ち出されたのは昭和四○(一九六五)年のこと。隣接する街とも一体化する横浜再生の新たな歴史が始まることとなった。
二○二○年の東京オリンピックに向け、首都圏の再開発が注目されるなか、多くの苦難を乗り超えてきたウォーターフロント都市・横浜の事例が参考になることも多いのではないだろうか。
昭和34年の不老町上空から税関方面への様子。右下が現在のスタジアム、下中央が横浜市役所(写真:横浜市史資料室)
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