企業経営改善

女性経営者座談会|"女性"のためではなく、すべての建設業従事者に働きやすい環境を

 

 建設業女性経営者の方々にお集まりいただき、「女性経営者座談会」を実施しました。経営者としての仕事への向き合い方、不安や希望、目標、やりがい、現在の景気変動や社会背景による業務への影響、担い手の確保・育成などについてお話しいただきました。女性ならではの視点で、自社の社員だけでなく、業界全体に働きやすい環境を整備すべきだという女性経営者の皆さん。どのような改善が必要か、さまざまな角度から問題提起がなされました。(1月21日、当基金役員会議室にて取材)

 

 
 
㈱大瀬建設
代表取締役
佐々川 和子さん


所在地:‌新潟県魚沼市大栃山784
事業内容:‌土木工事業(土木工事、生コンクリートの製造販売、国県道の除雪)
宮本工業㈱
代表取締役
宮本 ゆり子さん


所在地:[本社]山口県宇部市大字船木14-8
事業内容:鉄筋工事業
㈱セカンドライフ
代表取締役
子安 克枝さん


所在地:[本社]‌埼玉県さいたま市岩槻区南平野3-16-15
事業内容:‌とび・土工工事業(トンネル内で漏水防止・クラック防止用シート張り)
㈱武山興業
専務取締役
武山 利子さん


所在地:[本社]宮城県石巻市中野字牧野巣前198
事業内容:‌総合建設業
 

経営者として、女性として。会社と社員の生活を守る

女性経営者と女性パトロール隊長による安全パトロール。現場で重機を扱うオペレーターに、車輌系免許証の携帯を確認

聞き手 皆さんには経営者として、女性として、お知恵をお借りしたいと思っています。それでは、まずは簡単に自己紹介をお願いします。
佐々川 新潟県から来ました佐々川和子です。㈱大瀬建設は父が創業した建設会社で、業種としては土木一式ですが、生コンプラントもやっています。最初弟が継いだ会社を、その後私が引き継ぎました。当社は30人程の会社ですが、頼れる親戚は一人もいません。今は、私の代わりになる後継者を育てている途中です。当社では取締役になって何年かしたら、少しずつ頭を経営の方に向けるよう訓練して、株を分けるなどして準備しています。建設業の方は次世代の目星がついてきたところです。
宮本 山口県宇部市から来ました宮本ゆり子と申します。宮本工業㈱の業種は鉄筋工事業のみの専門工事業です。私の主人は畑違いの業種でサラリーマンをしていたのですが、義兄が鉄筋工事業の会社に勤めており、それを頼って熊本県から山口県に移り、転職しました。主人は7年ほどその会社に勤めた後、35歳の時に独立しました。独立して15年目、50歳のときに主人は末期の肝臓癌になり、余命3カ月という宣告を受けました。会社を閉じるか、私が社長としてやるか。ずいぶん思案しましたが、ここまでの15年間どうにか皆の知恵を借りながらやってきました。15年前は建設業も悪くなる一方でどうなるかと不安ばかりだったのですが、やっと最近、会社の皆とも足並みが揃ってきたと感じています。
子安 ㈱セカンドライフの子安克枝と申します。当社はトンネルに防水シートを張るのが主な業務です。以前に勤めていた会社が大阪にあり、東京支店長として働いていました。平成16年ごろ、東京支店へ本社より上席が来ることになりましたので、他の従業員と一緒に独立することになり、それ以来、社長として事務系の仕事を主に担当しています。私は基本的にはトンネル坑内に入ることができないのですが、私どもの作業員が仕事をしている現場にパトロールに行って、保護具をきちんとつけているか、ゼネコンが作業性のよいシート台車などの対応をしてくださっているかをチェックしに行きます。不具合があったら「従業員がケガしたらどうするんだ!」とゼネコンに文句を言うのが私の仕事(笑)。トンネル坑内は、大型重機やダンプが走り回っており、危険性が高いのです。
武山 宮城県から来ました武山利子と申します。㈱武山興業は主人が創業者で、運送業から始めて現在の総合建設業に至ります。私は子育てしながら主人、つまり社長をサポートしてきましたが、子どもが手を離れるにつれて仕事が増えました。最初に取り組んだのは現場のパトロール。細かいことを言うから社員には「恐怖のあら探し」と言われたりしたんですけれど(笑)、「女性の目線」は大事だと思い、私なりに続けてきました。平成9年の春からは営業を始め、主に宮城県や国交省などの役所回りもしました。営業からは一昨年ようやく開放されたのですが、当時は営業から帰って経理をして総務の仕事も全部チェックして、本当に夜中まで働いていました。その間に(一社)宮城県建設業協会から依頼があって、建設産業に携わる女性技術者の会「リンクス」の設立実行委員になり、その後も委員を務めました。以降は「宮城県建設業女性経営者会」の役員を3期務めました。

 

女性経営者として抱えてきた苦労や不安、喜び。そして目標

聞き手 皆さん、さまざまな経緯で経営の職に就かれていますが、就任されたときの周囲の反響や反応、ご苦労や不安、希望や目標、やりがいなどはどのようなものだったのでしょうか。
佐々川 私が31歳のとき、主人が36歳で亡くなり、7歳の子どもを抱えて働くことになったのですが、父の会社で、仕事の手が足りないところを経理として手伝っていました。私は、大瀬建設の社長になるときに「もしも、銀行以外のところからお金を借りるようになったら、この会社をやめますからね。いいですか」と言いました。そうしたら父は「お前に任せたんだからいいよ」と言うのです。その後も、これまでのやり方を変えるというときは先代に声を掛けてきたのですが、「任せたのだから、自分たちで決めなさい」と言われてきました。
宮本 私は最初、自分が会社を引き継ぐなんて無謀だと思いました。自分は主婦業をしていましたし、仕事内容も知りませんでしたので、会社が消えてなくなればいいのにと何回も思いました。男性中心の職場なので、会合に行っても女性は2、3人。目立つし気が重かったのですが、当時高校2年生だった息子が「お母さん、この際、女性一人で目立ってきたらいいじゃない」と背中を押してくれました。ある日ふと工場を見ながら「誰も私を不幸にしたわけじゃない。毎日会社に来てやることがあるのだから幸せではないか」と考えました。主人が残した言葉がいくつかあります。「"BIG ONE"の会社ではなく"GOOD ONE"すべてに良い会社になろう」。それから「夢への希求 人としての豊かさ 企業の明日」。会社は私や主人、従業員、皆の人生を共にラップしているのだから、夢を求め人として豊かになって明日に向かって毎日進んでいこうという思いを表したものです。目標を達成するために方針として「技能・技術に支えられた人づくりをし、お客様に宮本工業が施工するということで、安心感を与える会社を作る」。こういうことを考えながら社長を務めてきて、今は私が思っている以上に、他の社長さんたちは、私のことを一企業の代表者と認めて接してくれています。
子安 私は社長ですが、先ほども言ったように、基本的にはトンネル坑内での仕事はできません。それは逆によかったと思うのですね。従業員たちが問題を解決してそれでも何か困ったことがあったら、現場の所長に文句を言ったり怒られたりするのが私の仕事だと、役割分担がはっきりしているからです。
武山 昔から「山の神様は女神でやきもちやき」って言うでしょう? トンネルって私は現場があっても遠慮していたんですが、パトロールのときは入っていらっしゃるのですか。
子安 トンネル掘削の最先端箇所、切羽(きりは)で作業する方たちの中には女性が立ち入るのを嫌がる人もいて、近くに行くと怒られます。ただ、今は役所にもゼネコンにも女性の管理職がいますが、皆さん入っておられますね。
武山 なるほど、いいことを聞いたわ。今度から絶対入ります(笑)。
子安 現場に入っていくといろんなことが見えてきます。男性ばかりで暗黙の了解の多い世界ですから、私が女性の目線で「この前の現場と違うところがある」と言うと、意外に前向きに聞いてくださることも多いです。

東日本大震災時の啓開作業。津波によりアスファルトの下が空洞化したため、応急処置として道路を土砂で埋め立てた
『ふるさと石巻の記憶 大津波襲来・東日本大震災 空撮 3.11 その前・その後』『大津波襲来 石巻地方の記録』(三陸河北新報社)、『3.11 東日本大震災 宮城県建設業協会の闘い 3』『同シリーズ 2011〜2015』『知られざる英雄たち』(宮城県建設業協会)、『『命の道』を切り開く 東日本大震災 3・11最前線の初動 13人の証言』(建設コンサルタンツ協会)

聞き手 武山さんは、東日本大震災の関連資料をお持ちいただいたのですね。それを見ながら当時の苦労話をお聞かせいただけますか。
武山 この『知られざる英雄たち』(宮城県建設業協会)は震災時の建設業者の働きを描いたものなのですが、これを読んだ時に当時を思い出して泣いたんですね。たぶん建設業の方が読めば、ぐっとくるところがあると思います。
 宮城県建設業協会の会員企業数は、私が女性経営者会の会長を務めている期間にも、500社以上あったのが260社を切るくらいに減ってしまいました。工事量が少なかったせいです。まさにそんな折、2011年3月11日の震災がありました。もしあれ以上減っていたら復旧工事はできなかったと思います。当社はどうにかふんばれていました。
 震災後、役所から連絡が来るより前に、がれき撤去を始めました。私たちは運のよいことにすぐそばに山を持っており、さらに運のよいことに機械の一台も流されなかったのです。家は流されたんですけれど。 山から土砂を運んで道を作って、啓開(けいかい)※にあたることができました。人生に二度とない経験でしょうね。住民の搬送だけじゃなくて、遺体の搬送も仮埋葬もしたし、ベニヤでお棺を作ったり、掘り起こして火葬場に連れて行ったり、本来なら建設業者がやることではないことまでやりました。若い社員たちの心がよく折れなかったと思います。5年前ですけど、昨日のことのように思い出します。中でも、津波で30万円の宝石をなくしたという話をしたら、いつの間にか3千万円の宝石をなくしたという噂になっていました(笑)。暗いままでいたくなかったから、そういう笑い話があってよかったと思います。

※‌(道路)啓開:緊急車両等の通行のため、1車線でもとにかく通れるように早急に最低限の瓦礫処理を行い、簡易な段差修正により救援ルートを開けること

 

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