4月14日午後9時26分の前震と16日午前1時25分の本震は、どちらも最大震度7を記録し、本震の規模はマグニチュード7.3と阪神淡路大震災級。まさに「未曾有」の出来事でした。甚大な被害が発生し多くの県民が困難な事態に直面する中、地震発生直後から活動しているのが建設業界の人たちです。自ら被災した人も避難所や車中から現地に通い、昼夜兼行で懸命の作業を続けました。その活動はインフラの応急復旧にとどまらず、避難所や避難者の支援など多岐にわたりました。
命を守る 人命救助の最前線に
(写真1)民家が倒壊したため、緊急車両が通れるように啓開作業を行った
土砂崩れ、亀裂、隆起、陥没、家屋倒壊...。2度にわたる大きな地震により道路が寸断され交通網は大きく混乱、救助の妨げとなりました。建設業者がまず道を復旧させないと自衛隊も消防も警察も現地に入れません。716社・1万8,000人の県内最多会員数を有する熊本県建設業協会(以下、熊建協)(橋口光德会長)は、人員と資機材をフル動員します。
南阿蘇村立野地区の国道57号は大規模土砂崩れが発生したため、熊本側と阿蘇側のそれぞれから現場入り。車両が巻き込まれたとの情報もあり、人命救助を最優先に土砂の除去を続けたのです。住宅が土砂に押しつぶされた南阿蘇村高野台地区では、現場までの道路を誰よりも早く啓開。益城町は多くの民家が倒壊し道路を塞いだため、緊急車両が通れるよう15日早朝から活動しました(写真1)。建機を集め200人を動員して倒木やがれきを撤去したものの、2度目の地震で復旧した場所が再び被災したため、16日からは協力業者にも要請し1,000人態勢で臨みました。
県内の通行止めは数えられないほどあり、路面の亀裂や橋梁取付部の段差、マンホール周辺部の陥没など損傷も様々。支部単位で手分けして作業し安全パトロールも実施しました。
「地域の安全安心を担保するのは我々の宿命」。45歳以下の経営者らで組織する熊建協青年部の佐藤一夫会長(当時)は前震後、フェイスブックにコメントし実働部隊として奔走します。電話が繋がりにくい中で、SNS等を使って復旧状況を投稿。土嚢製作機械の貸出情報や宮崎・鹿児島の建設業協会から支援物資の輸送先やルートの相談が投稿されるなど、迅速な支援に繋げました。
堤防が破損した緑川水系と白川では、127カ所の応急対策を20日までに終えました。天端道路の段差が最大約1m発生するなど被害が大きい11カ所については、堤防決壊の恐れもあったため梅雨時期が目前に迫る中、24時間体制で緊急復旧工事に取り組み5月9日に完成させました。最大1時間雨量が150㎜となった6月20・21日の記録的大雨でも被害はありませんでした。
インフラ早期復旧へ被災状況調査
インフラの早期復旧にまず必要なのが被害状況の調査です。コンサルタント業界団体は、高度な技術力と経験を発揮します。
県測量設計コンサルタンツ協会は、災害現場に赴き生活道路や公園、橋梁などの現況調査を開始し、測量や設計など復旧工事に必要なたたき台をつくる作業から始めました。県地質調査業協会は、南阿蘇村を中心に19社の技術者41人が、盛土地盤が崩壊した道路や地震断層で被災した河川・砂防施設などを調査し、応急対策や本復旧に向けた対策工法を提案しました。県防災交通安全施設・橋梁補修業協会は約500橋を対象に伸縮装置や支承、落橋防止、移動制限装置の異常の有無などを点検しました。
建物の解体工事時に心配されるのがアスベストの飛散です。日本アスベスト調査診断協会の熊本会員は、熊本市中心部の繁華街で特に被害が大きく内部が露出した建物約80カ所を見て回り、協会員技術者らが目視により状況を確認(写真2)。アナライザーと呼ばれる特殊な検知器を使って調べました。
被災者に寄り添う ライフライン確保へ奔走
(写真3)給水タンクによる給水活動
(写真4)給水タンクによる給水活動
相次ぐ余震と停電により、県内の避難所は855カ所、避難者は18万人に上りました。避難所に入れず車中泊や屋外で毛布一枚にくるまって夜を過ごす人も。救援物資も不足しました。
ピーク時に11万人超が避難していた熊本市。熊本都市建設業協会(熊建協熊本支部)は公園など市内15カ所に給水タンクを持ち込み午前6時から午後9時まで給水活動を(写真3)、県建築協会(熊建協建築部会)は、救援物資集積拠点でフォークリフトが使えるようコンパネを提供・搬入しました(写真4)。県鳶工業組合連合会は日鳶連と連携し、飲料水や毛布などトラック4台分の支援物資を避難所に届けました。避難所の大半は体育館等で板張りの固い床です。「寝泊まりしている避難者に少しでもくつろいでもらえれば」と県畳工業組合は2日かけて畳を製作し、益城町と阿蘇市の避難所に計350枚を届けました。
断水も深刻でした。県内の42万戸余りが断水。電気が復旧しても水が無いと風呂もトイレも使えません。熊本市の上水道は水源地と配水池を結ぶ大口径管が破損し配水池の水を満たせない状態に陥ったため、熊本市管工事協同組合が全国工事破損復旧隊と連携して全面復旧のめどをたてました。5日間断水した熊本市東区では全国さく井協会九州支部が設置していた災害用井戸が「命の水」となりました。停電時でも使える手動ポンプは子どもの力で簡単に動かせ、井戸水を近隣住民に提供することができました。
県港湾建設協会は5日間に約200人を動員し熊本港の亀裂補修や段差解消などに従事し、その後フェリーで全国から次々と支援物資が運び込まれるようになりました。県電設業協会は熊本市内を対象に道路照明灯(デザインポール)、県設備設計事務所協会は保育園など施設設備の緊急点検を今も続けています。
被災家屋は15万棟に上り、安全性への不安から避難を続ける人も多く、その解消に向け応急危険度判定が急がれました。県建築士事務所協会と熊建協建築部会は応急危険度判定士を派遣し、被害の大きい益城町、西原村、御船町を中心に判定作業にあたりました。県建築士事務所協会は6月13日に建築復興支援センターを設置し、建築相談や被災度区分判定、復興住宅の企画・設計にも応じています。事務所協会の福島正継会長は「被災者の方に出来るだけ早く安心して暮らせる日常生活を取り戻して頂けるよう尽力したい」と話します。
住宅の瓦屋根が壊れる被害も多く発生しました。県瓦工業組合は、地震直後から補修依頼が殺到したものの収まらない余震や瓦職人の不足で作業が進められず、多い事業所では一時1,000棟ほどの依頼を抱えました。長期化も予測されますが、「1軒でも2軒でも早くお客様の屋根を直してあげたい」と、連日の屋外作業で肌が真っ黒に日焼けした組合員たちは汗を拭います。
歩み出そう未来へ
熊本県建設業協会は熊本地震からの復興に向けた建設業版スローガンを「歩み出そう未来へ」と掲げました。「将来の担い手である若者(子どもたち)が熊本に残って頑張ってもらえるよう、まず自分達が一歩を踏み出して未来へつないでいこう」という想いが込められているそうです。
これまでの建設業界の活動を振り返り、国土交通省九州地方整備局の小平田浩司局長は「まさに昼夜問わずに24時間活動され早期復旧した。復興のため今後も力を貸してほしい」、熊本県の手島健司土木部長は「地域に建設業は欠かせないという思いがさらに強くなった」と感謝し、熊建協の橋口会長は、地域の安全安心を担う地元団体として当然の行動であり被災者の気持ちになって業界の心を一つにするよう呼びかけています。
ここに紹介してきた取り組みは、ほんの一部に過ぎません。誰よりも早く被災地に駆け付け、被災者に寄り添う姿が沢山ありました。仮設住宅への入居が進み、本格的な復旧復興へ向けた活動が始まろうとしている今、そして、これからも建設業界の力が必要です。熊本は未来に向かって歩み出します。