歴史資料

入札契約制度の変遷

入札契約制度の変遷

国土交通省  日原 洋文 前 建設流通政策審議官
(一財)建設経済研究所 客員研究員  六波羅 昭
愛媛大学防災情報研究センター  教授 木下 誠也
(一社)長野県建設業協会  会長 藏谷 伸一
(社)宮崎県建設業協会  会長 永野 征四郎

 

 

地域の建設業の入札契約制度の現状

長野県の入札契約制度の変遷

 平成12年10月26日 田中康夫知事誕生、その直後 平成13年2月にあの「脱ダム宣言」、その後コンサル会社から県職員へのパソコン贈呈問題から端を発した官民癒着疑獄により平成15年2月に「受注希望型競争入札(事後審査郵送方式の一般競争入札)」の開始となり平成14年度の平均落札率は1月までの94.8%から翌月2〜3月は75.6%(平成15年度平均は73.0%)まで下落しました。「長野県の失われた6年」暗黒県政時代の始まりであります。県職員は知事に恐れを抱き無言で俯き、一般市民の県庁・出先機関への来庁者は激減しました。入札制度は県外のイデオロギーの異なる大学教授、弁護士等で構成の「長野県公共工事入札等適正化委員会」が発足し、私たち建設業者は「長野モデル」という名のモルモットとなりました。(当時巷では、「長野県と宮城県でのダンピング合戦」と揶揄)
会長 藏谷 伸一氏 平成18年9月やっと県民が目覚めて待望の村井仁県政が誕生、そして平成22年9月現在の阿部守一知事が誕生しました。それから今日までの7年間弱 県当局とは「地域を支える建設業検討会議」等を通じて意見交換、要望等が繰り返され入札制度も徐々に改善されました。24年度の落札率は90.4%、しかしながら隣接県の8県の平均は94%を越える状況です。我が県はまだまだ「あの時代の呪い!」を感じます。
 バブル経済の崩壊後 財政難と高齢化による社会補償費の増加により公共工事費が真っ先に削減、その頃から行き過ぎた極度の制度改革によりダンピング入札が横行し始めました。時の総理は「今や公共事業では経済的波及効果は期待できない。」とまで言及しました。予定価格の80〜90%(当県の年度平均最低は73%)で受注をして利益どころか経費も出ない状況で経済的波及効果などある訳がありません。残念ながら当時 そんな検証をする政治家も経済評論家もいませんでした。
 その後 品確法、大震災、政権交代による国土強靭化政策等 振り子は大分私達の方に振れてきましたがまだまだ道中途。一致団結した全建、各都道府県協会の終わりなき闘いは続きます。

前回記事「地域建設産業の現状[関東・甲信地区]」にて


 

宮崎県の入札契約制度の変遷

 本県では平成15年4月以降、条件付き一般競争入札の段階的な導入が図られてきたが、平成19年1月に就任した東国原知事は、前知事が絡んだ設計コンサルタント業者との官製談合事件を受け、僅か1年の間に250万円以上の工事を一般競争入札にする急激な入札制度改革を断行した。
 そのため、県内の建設業者はこの改革に対応するための経営戦略を構築する余裕もなくダンピング受注に陥り、平成20年度の落札率は84.1%に低下した。そして、公共事業費削減の影響も相まって会員企業の倒産は平成19年4月から平成23年3月までの3年間で56社に達した。
会長 永野 征四郎氏 その間、県は平成19年4月に4千万円以上の一部公共工事に総合評価落札方式を導入、平成20年6月には応札者の地域貢献度重視を図り、さらに平成21年1月に4千万円未満の工事に地域企業育成型を導入する等対策を行った。また、平成21年4月及び平成22年3月に公共事業における経済雇用対策で最低制限価格の引き上げを行い、平成22年3月に県発注工事の落札率は90%台を回復した。
 本会としては、県土整備部及び県議会との意見交換会を積極的に開催して、建設業の健全な発展と災害時応急対応力を確保するため指名競争入札の必要性を訴えた。その結果、平成25年7月から災害工事を含む3千万円未満の土木一式工事について指名競争入札が試行されることになり、本県の入札制度は、条件付き一般競争入札、総合評価落札方式、指名競争入札の3種類が併用されることになった。
 指名競争入札は、会員にアンケート調査を行い本会の総意として要望した経緯があるため、試行の成果を上げるとともに県民の理解を得たうえで、最終的には災害復旧工事と3千万円未満の工事すべてに適用されることを願うものである。

前回記事「地域建設産業の現状[九州地区]」にて

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